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東京高等裁判所 昭和23年(ネ)5号 判決 1949年2月23日

主文

被告山本武利、同山本彌治郞の控訴はいずれもこれを棄却する。

原告の控訴に基き原判決中原告敗訴の部分を左の通り変更する。

被告加藤さだは原告に対し、東京都千代田区神田神保町一丁目三番地の四にある木造亜鉛葺平家建一棟建坪十一坪七合五勺を明け渡せ。

被告加藤さだ、同山本武利、同山本彌治郞は、それぞれ原告に対し昭和二十四年一月十一日から右家屋の明け渡しがすむまで一箇月金三百七十五円の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求はこれを棄却する。

原告と被告加藤さだとの間に生じた訴訟費用は第一、二審共同被告の負担とし被告山本武利、同山本彌治郞の控訴による訴訟費用、並びに原告の控訴による訴訟費用中右被告両名に関する部分はいずれも右被告両名の負担とする。

この判決は被告三名に対し金員の支払を命じた部分については無条件で、被告加藤さだに対し家屋の明け渡しを命じた部分については、原告において同被告に対し金七千円の担保を供するときは、それぞれ原告勝訴の部分に限り、仮にこれを執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、原告の被告三名に対する控訴の趣旨として、「原判決中原告(原告被承継人山本利貞)敗訴の部分を取消す。被告加藤さだは原告に対し東京都千代田区神田神保町一丁目三番地の四にある木造亜鉛葺平家建一棟十一坪七合五勺を明け渡せ。被告加藤さだ、同山本武利、同山本彌治郞は連帯して原告に対し、被告加藤さだは昭和二十一年九月一日から被告山本両名は同年十月一日からそれぞれ昭和二十二年八月三十一日まではいずれも一箇月金八十円、同年九月一日から昭和二十三年十月十日までは一箇月金二百円、同年十月十一日から右家屋の明け渡しがすむまでは一箇月金五百円の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審共被告等の連帯負担とする」との判決並びに担保提供による仮執行の宣言を求め、被告山本武利、同山本彌治郞訴訟代理人は、その控訴の趣旨として、「原判決中右被告等敗訴の部分を取消す。原告の同被告等に対する請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審共原告の負担とする」との判決を求め、原告訴訟代理人並びに被告三名訴訟代理人は、それぞれ相手方の控訴に対し控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、

原告訴訟代理人において、(一)第一審当時本件家屋の所有者であつた山本利貞(第一審原告)は昭和二十二年七月三十日死亡し、山本かず(第一審原告訴訟承継人原告被承継人)において、その遺産相続をなし、よつて本件家屋の所有権を取得しその登記手続を経由したが、同人は昭和二十二年十一月二十一日本件家屋を原告に遺贈する旨の遺言をなし、ついで昭和二十三年七月十日死亡したので右遺贈はその効力を生じたところ、原告は右遺贈を承認し、よつて本件家屋の所有権を取得し、同年九月二十八日その所有権取得登記を了した。(二)原告は原審において、被告加藤さだに対して昭和二十一年九月分の賃料相当の損害金八十円の支払を求める外、被告三名に対して同年十月一日から本件家屋の明け渡しがおわるまで同額の割合による損害金の連帯支払を求めたのであるが、その後昭和二十年九月一日からは東京都長官の認可による修正率二・五倍に相当する一箇月金二百円、又昭和二十三年十月十一日からは同年同月九日物価庁告示第千十二号による修正率二・五倍に相当する一箇月金五百円の賃料を得ることができることになつたのであるから、当審においては右期間の賃料相当の損害金を右の割合による金額に改めて請求する。(三)仮に被告加藤さだが亡加藤豊七の内縁の妻として、本件家屋の上に居住権を有していたとしても、同被告は昭和二十一年九月初旬、当時の本件家屋所有者山本利貞の法定代理人小野善兵衞との間に同年十月四日限り本件家屋を明け渡す旨の合意成立後である昭和二十一年九月二十五日頃、本件家屋に居住するにいたつたのであるから、被告等の抗弁はすべて理由がない。(四)さらに山本利貞を貸主とし加藤豊七を借主とする本件家屋の賃貸借が右豊七の死後もなお右豊七の相続財産との間に存続しているものとしても、山本利貞の死後その地位も承継した山本かずは、昭和二十三年三月三十日到達の同年同月二十六日附内容証明郵便を以つて、亡加藤豊七の相続財産の管理人たる被告加藤さだに対し、若し本件家屋の賃貸借が存在するものとせられるときは、該家屋を自ら居住使用する必要上、ここに右賃貸借の解約の申入をなす旨告知したので、右賃貸借はそのときから六月の期間を経過した昭和二十三年九月三十日限り終了したのであるが、その間、同年七月十日遺贈により本件家屋の所有権を取得し、よつて右山本かずの地位を承継した原告においても、右家屋を自ら居住使用する必要があつたので前主のなした右解約申込の効力を維持し、右賃貸借終了後である同年十月六日到達の同年同月四日付内容証明郵便を以て、亡加藤豊七相続財産管理人加藤さだに対し、右賃貸借終了後における本件家屋の使用收益の継続について遅滯なく異議を述べておいた。元来本件のように賃借人死亡して後久しきに亘りその相続人がない場合は賃貸人はその相続財産管理人に対して賃貸借解約の申入をなす正当な事由があるものと考えるが、これを別にしても原告は現在肩書の居宅に父母と同居しているのであるが、又小野善兵衞の居宅は戦災にあい、現在の居宅は戦災直後築造した極めて粗末な狹い家で六疊一間しかたく、しかも母午子は不治の病で臥床療養中であり、ために原告は一両年前より妻帯の希望があり良縁をすすめられることも度々あつたが、住居がないため今日までのばしていた次第で、本件家屋の明け渡しを受け次第これに居住し、妻を娶つて新生活に入るつもりであるので、かかる事情の下においては原告がその前主のなした本件解約申入の効力を維持するについて正当な事由があるといつてよいと思う。(五)被告等は当審において原審における主張を訂正し、被告山本武貞は被告加藤さだ、同山本彌治郞の共同営業の使用人であつて、右営業の共同経営者でないと主張しているが右主張の訂正には異議があり、共同営業者であるとの原審における自白を援用する。その他被告等の主張事実中、原告の主張に反する部分はすべてこれを否認する。と述べ、

被告等訴訟代理人において、原告の前記(一)ないし(四)の主張事実中、(一)の事実はこれを認める。(二)の損害金の額ばこれを否認する。但し、原告主張の日時、原告主張のような東京都長官の認可又は物価庁告示による家賃の修正率が認められたことは認めるが、その計算の基礎たる右修正前の本件家屋の賃料は一箇月六十円(統制額)であつて八十円ではない。(三)の事実はすべてこれを否認する。被告加藤さだは当時、被告山本彌治郞の援助を得て昭和二十一年八月二十五日頃から共同経営の準備にとりかかり、同年九月一日には盛大に開店していたのであるから、同被告が今さら山本利貞法定代理人小野善兵衞との間に本件家屋明け渡しに関する合意をなす道理はない。(四)の事実中、被告加藤さだが亡加藤豊七相続財産の管理人に選任せられたこと、並びに右管理人たる被告加藤さだに対し山本かず並びに原告から、それぞれ原告主張の日時その主張のような賃貸借解約の申入並びに賃貸借終了後における收益についての異議があつたことはいずれもこれを認めるが、その余の事実は全部これを否認する。本件賃貸借は原告の主張によつても、三年又は五年の期間を定めたものであつて、期間満了毎に同一の条件を以て更新したものと看做されるべきものであるから、これを期間の定めない賃貸借なりとなした本件解約申入は当然無効であるばかりでなく、原告は本件家屋の外になおその裏側に木造瓦葺二階建の家屋を所有し、その階下は現在あいていて原告がこれに居住するに差し支えがないから、別段本件家屋の明け渡しを求める必要がなく、その請求は権利の濫用であつて、本件解約申入の効果を維持する正当な事由のないものといわねばならぬ。なお、本件家屋において被告加藤さだと共同して古物商を営んでいるのは、被告山本彌治郞であつて被告山本武利は右被告両名の使用人として、事実上これに居住しているのにすぎず、右に牴触する被告等の原審における主張は右のとおり訂正する。なお仮に被告等の本件家屋に対する使用占有が不法であるとしても、被告山本彌治郞は被告加藤さだとの共同営業のため本件家屋を使用し、被告山本武利は右営業の使用人としてこれに居住するものであつて、その使用占有はいずれも被告加藤さだの占有に従属し、独立のものでないから、原告は同被告に対し本件家屋の明け渡しを求めれば足り、被告山本両名に対してこれを求める法律上の利益はない。と述べた外、すべて原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

(立証省略)

理由

東京都千代田区神田神保町一丁目二番地の四にあたる木造亜鉛葺平家建一棟建坪十一坪七合五勺の建物は、元山本利貞(第一審原告)の所有であつたところ、昭和二十二年七月三十日山本かず(第一審原告訴訟承継人、原告被承継人)において、遺産相続によりその所有権を取得し、次で昭和二十三年七月十日、原告において遺贈によりその所有権を取得し現に原告の所有であること、並びに被告加藤さだが昭和二十一年九月一日以前から又被告山本武利が同年同月中からそれぞれ引きつづき右家屋に居住していることは、いずれも当事者間に争のないところである。原告は、被告山本彌治郞も亦同年同月頃から右家屋に居住していると主張するが、この点に関する原審における第一審原告山本利貞法定代理人小野善兵衞本人訊問の結果は措信し難く、他にこれを認めるに足る証拠がない。しかしながら同被告が昭和二十一年九月頃から、右家屋において被告加藤さだと共同して古物商を営み、右家屋に居住こそしないが始終出入していることは同被告の認めるところであつて、原審並びに当審における被告加藤さだ及び同山本彌治郞の本人訊問の結果によれば、被告山本彌治郞は事実上右営業を主宰し、その中心となつている事実が明かであるから、この点よりみるときは同被告も亦、たとえ共同営業であるとはいえ、自己のために本件家屋を占有使用しているものと認むべきである。

ところで被告等は、被告加藤さだは賃借権少くとも居住権に基いて本件家屋に居住し、被告山本彌治郞は被告加藤さだの共同営業者として同被告の有する賃借権ないし居住権の範囲内において、又被告山本武利は右共同営業の使用人として従属的にそれぞれ本件家屋を使用又はこれに居住しているのにすぎないと主張しているので、まず被告加藤さだが果してその主張のような賃借権ないし居住権を有しているかどうかを吟味することにする。

第一に、本件家屋は元山本錚之助の所有であつて、同人はこれを加藤豊七に賃貸していたところ、その後原告の前々主山本利貞において右山本錚之助より右家屋の所有権を承継取得し、順次山本かず、原告に及び、他方加藤豊七は、昭和二十一年七月二十六日死亡し、その相続人のあることが明かでなかつたので、現在その相続財産は法人となつていることは当事者間に争のないところであるから、山本利貞又はその後の承継取得者である山本かず並びに原告は、右賃貸借の消滅しない限り、それぞれ右取得と同時に右賃貸借の賃貸人たる地位を承継し、右賃貸借関係はこれ等と加藤豊七又はその相続財産との間に存在するものといわねばならぬ。しかるに原告は、右賃貸借は期間の定あるもので、その満了によつて消滅したと主張するのでこの点を審究するに、当審証人小野善兵衞、水島庄平の証言並びに原審における第一審原告山本利貞法定代理人小野善兵衞本人訊問の結果によれば、山本錚之助は昭和三年頃加藤豊七外一名を被告として家屋收去土地明渡請求訴訟を東京地方裁判所に提起し、その控訴審において昭和十年頃当事者間に和解成立し、その内容として本件家屋を加藤豊七に賃貸するにいたつた事情を認めることができるが、明け渡しは数年後と定められており、既にその期間を経過した後は単にこれを猶予していたにすぎないとの事実は、この点に関する前示小野善兵衞の証人並びに法定代理人本人としての供述は、これを原審並びに当審における被告加藤さだの供述に対比してたやすく措信しがたく、これをおいて他に右事実を認めるに足る的確な証拠はない。

却つて、右被告加藤さだの供述並びに成立に争のない乙第二号証の一、二を綜合すれば、賃貸人山本利貞法定代理人小野善兵衞は、賃料名義の下に賃借人から昭和二十年三月分までは一箇月金六十円、その後昭和二十一年八月分までは一箇月金百二十円の割合の金銭の支払を受けていて、(右金員の性質を除き授受の事実は当事者間に争がない)右事実よりするときは当初の和解契約の内容はともあれ、依然として両者の間に賃貸借関係の存在していたものと推定するを相当とし、右金員は損害金として受領していたにすぎないという前示小野善兵衞の供述は当裁判所の採用しないところで、他に右推定を覆すに足る証拠がない。よつて賃貸借消滅に関する原告の前示主張は理由なしとして排斥する。

次に、被告等は反対に被告加藤さだは、昭和二十一年三月頃、賃借人加藤豊七から本件賃借権の譲渡を受け、翌四月分から賃料を倍額の金百二十円に値上することを条件として賃貸人の承認を得た。仮に右事実がないとしても同被告は同年七月二十八日と同年八月二十九日の二回に金百二十円宛山本利貞の代理人山本かずに支払い、ここに両者の間に新に同被告を賃借人とする賃貸借契約の暗黙の合意が成立し、同被告は賃借権を有するにいたつたと主張するので、この点を審究するに成立に争のない乙第二号証の二並びに原審における被告加藤さだ本人訊問の結果によれば、賃貸人山本利貞法定代理人小野善兵衞の請求により、昭和二十一年四月分から本件家屋の賃料が一箇月金百二十円に値上された事実が認められ、又、山本かずが被告加藤さだから被告等主張のとおり二回に金百二十円宛受領した事実は原告の認めるところであるが、その余の事実はこれを認むべき証拠がなく、被告加藤さだが本件家屋の賃借を有している事実は、到底これを認めることができない。

よつて進んで被告等主張の居住権の有無について判断するに、原審における被告加藤さだ本人訊問の結果によれば、同被告は元加藤豊七の妻で、昭和十一年十月十九日同人と協議離婚をなし(右事実は当事者間に争がない)一時同人の許を去つていたが、同人はその後約一箇月間他の女と同棲した後、再び同被告をよびかえし、以後昭和二十一年七月二十六日死亡するまで内縁の夫婦関係を継続し、本件家屋に同居してきた事実を認めることができ、原告は右協議離婚後は同被告は加藤豊七の意に反して本件家屋に居住していたにすぎないと主張するが、右主張に副う前示原審並びに当審における小野善兵衞の本人並びに証人としての供述はいずれも当裁判所の措信しないところで、他に右主張事実を認むべき証拠がない。さて本件のような場合、内縁の妻がその内縁の夫の生前は勿論、その死後もその相続人の意思に反しない限り居住家屋の賃貸人に対して夫又はその相続人の有する賃借権を援用して自己の居住権を主張し得ることは、内縁の妻が内縁の夫を中心とする家庭共同生活体の構成員の一員であるということから来る当然の事理であるが、内縁の夫が死亡してその相続人あることが分明でなく相続財産が法人となつた場合でも夫の有していた賃借権は消滅することなく、その相続財産を構成する一の権利として存続し、相続人あることが分明となつたときは相続財産は被相続人死亡の時に遡つてその相続人に帰属するものであるから前述の理は相続人不明の間でも異ることなく、内縁の妻は亡夫の賃借家屋に居住して法人である相続財産に属する賃借権を賃貸人に対して援用し得るものといわなければならぬ。従つて被告加藤さだが亡加藤豊七の相続財産に属する賃借権を原告に対して援用するのは、その賃借権の存続する限り正当である。

しかるに原告は、被告加藤さだは、昭和二十一年九月初旬賃貸人山本利貞法定代理人小野善兵衞に対して、同年十月四日限り本件家屋を明け渡すべき旨約したと主張するが、右主張に副う前示原審並びに当審における小野善兵衞の本人並びに証人としての供述並びに原審証人山本嘉寿の証言は、当裁判所の措信しないところで、他に右事実を認めるに足る証拠がなく、却つて原審における被告加藤さだ本人訊問の結果によれば、同被告は昭和二十一年十月四日頃小野善兵衞から本件家屋明け渡しの請求があつたので、適当な引越先さえあれば何時でも明け渡す旨答えたに止まる事実を認めることができるから、原告の右主張は採用しない。

次に、原告は仮に本件賃貸借が亡加藤豊七相続財産との間に存続しているとしても、それは原告の前主山本かずのなした解約申入によつて終了したと主張するので、この点を審究するに、昭和二十三年三月三十日、山本かずから亡加藤豊七相続財産管理人たる被告加藤さだに対し本件賃貸借解約の申入のあつたことは当事者間に争のないところであつて、被告等は本件賃貸借は、原告の主張によるも期間の定のあるもので、期間満了後は同一条件を以て更新されていたにすぎないから矢張期間の定のあるものというべく、従つて右解約の申入は無効であると主張するが、本件賃貸借が当初期間の定のあつたものであつたかどうか証拠上認めることができないことは前説示のとおりであつて、結局期間の定のなかつたものとなすの外なく又被告等はさきに期間の定のあつたものであるとの原告の主張に対し、右事実を否認して期間の定のなかつたものであると主張しているのであるから、今さら原告の右主張を援用して自己の右主張に反する主張をなすことは許されないものというべきであつて、従つて被告等の右主張は理由がなく、右解約申入の有効無効は一にかかつて借家法第一條の二所定の正当の事由の有無にあるものといわねばならぬ。

原告は本件のように賃借人死亡して久しきに亘り相続人の明かでない場合は、それだけで正当な事由があると主張するけれども、そのように解するにはまだ根拠に乏しく、原審証人山本嘉寿の証言によれば、当時同人の住居は狹隘で同居人もあり相当不自由を感じていた事実が認められるが、他面原審並びに当審における被告加藤さだ本人訊問の結果によれば同被告は他によるべき親類縁者もなく、移転先の全くない事実が認められるから、ともかくも住居の安定を得ている山本かずは、本件解約をなすにつき正当な事由を有しなかつたものといわねばならぬ。しかしながら、右解約申入後、昭和二十三年七月十日、原告が遺贈によつて本件家屋の所有権を取得し、よつて右山本かずの賃貸人たる地位を承継したことは前認定のとおりであつて、その後においても依然本件家屋明渡請求訴訟を維持し、同年十月六日到達の内容証明郵便を以つて亡加藤豊七相続財産管理人加藤さだに対し本件賃貸借終了後における賃貸家屋の使用收益の継続について異議を述べている(右事実は当事者間に争がない)のであるから、原告が右解約申入を撤回することなく、これを維持する意思をもつていると認むべきは当然であつて、当審における原告本人訊問の結果によれば原告はかねてから妻帯の希望があり良縁をすすめられたことも度々であつたが、現在の住居は起居に使用する室は六疊一間しかなく、父母と共に同居し、しかも母午子は不治の病に臥している有様で、本件家屋の遺贈を受けるや、これが明け渡しを受けて自ら居住し妻を娶つて新生活に入らんと熱望している事実、並びに原告は他にもかつて山本かずの居住していた家屋の遺贈もうけたが、これには山口健二夫婦等が居住しており、かつ狹隘で到底原告が前記目的で居住するに適せず結局、本件家屋をおいて他に適当な家のない事実が認められるのに対し当審における被告加藤さだ本人訊問の結果(第二回)によれば、亡加藤豊七の相続財産は殆んど皆無であつて、将来において相続人を得る見込もなく、同被告も成行に任せている事実が認められるから、彼此綜合するときは、前認定にかかる被告加藤さだの主観的事情如何にかかわらず、原告はその承継の当初から本件解約申入を維持するについて正当な事由を有しているものと認めるを相当とすべく、従つて原告の前主山本かずのなした本件解約の申入は、そのときから正当性に関する要件を充足して有効になつたものというべく、被告等は原告は他にも家屋を所有していて住宅に困らないから正当な事由がなく、本件明け渡し請求は権利の濫用であると主張するけれども、被告等の提出援用にかかるすべての証拠によるも、いまだ右主張事実を肯認し、右認定を左右するに足らない。されば本件賃貸借は、右解約申入がその効力を生じた昭和二十三年七月十日から六月を経過した昭和二十四年一月十日限り終了したものというべく、従つて被告加藤さだは最早原告に対し、右賃貸借に基く賃借権を援用して本件家屋の明け渡しを拒むに由なく被告山本彌治郞、同山本武利も亦その居住使用について他に正当事由の主張立証がない以上、その主張する理由だけでは既に被告加藤さだが本件家屋の賃借権を有せず居住権も失つた現在においては、正権限に基いて本件家屋を占有しているということができず、なお又、同被告等は被告加藤さだの占有に従属して占有使用しているのであるから、原告は同被告等に対し本件家屋の明け渡しを求める利益がないと主張するが被告山本彌治郞は、たとえ共同営業とはいえ自己の営業のために本件家屋を使用していることは、前認定のとおりであつて被告山本武利も単に右家屋に居住しているばかりでなく、原審並びに当審における被告山本彌治郞本人訊問の結果によれば本件家屋において営んでいる古物商の営業名義人は、被告山本武利である事実が認められるから、同被告の占有は必ずしも被告加藤さだの占有に従属するものということができず、さらに不法占有による家屋所有権の侵害というような場合には、その占有は占有権を意味せず、その家屋を現実に支配しているという事実上の客観的な関係をさすのであるから、被告山本両名が本件家屋の占有使用につき、原告に対抗し得べき正当な権限を有しない限り、その占有使用は不法なものというの外なく、原告が所有権に基きその排除を求め得べきは当然であつて、従つて被告等はいずれも原告に対し本件家屋を明け渡すべき義務があり、右に関する原告の本訴請求は正当であつて認容しなければならぬ。

次に、損害金の支払に関する原告の本訴請求の当否について按ずるに原告と亡加藤豊七相続財産との間に存在した本件家屋の賃借権は、前認定のとおり昭和二十四年一月十日まで存続していたものであるから、原告は同相続財産に対し、その間における賃料を請求すれば事足るべく、他に特別の事由のない限り、被告等の占有により何等損害を受けていないものと認めるを相当とするからその間における損害金の請求は失当であるが、その後は被告等の占有の継続する限り、原告は本件家屋の所有権を侵害せられ、これにより右家屋の賃料相当の損害を被つている筋合であるから、被告等はそれぞれ原告に対し、これが賠償をなす義務がある。よつてその額について按ずるに原告主張の日時、原告主張のような東京都長官の認可又は物価庁告示による家賃の修正率が認められたことは当事者間に争のないところであるが、右修正前の本件家屋の一箇月の賃料が金八十円であつたことは、この点に関する前示小野善兵衞の原審並びに当審における供述は成立に争のない乙第二号証の二の記載に徴し信用することができず、他にこれを認めるに足る証拠がないので被告等の認める一箇月金六十円の割合であつたとなすの外なく、これを基礎として前記修正率によつて計算するときは、昭和二十三年十月十一日以降、本件家屋の相当賃料は一箇月金三百七十五円の割合となり、従つて被告等はそれぞれ原告に対し昭和二十四年一月十一日から本件家屋の明け渡しがおわるまで、右割合による損害金を支払うべき義務があり、原告の本訴損害金の請求はこの限度において認容すべきも、その余は失当として棄却すべきものである。

叙上の理由により、原判決が被告山本両名に対し本件家屋の明け渡しを命じたのは正当であつて、この部分に対する右被告両名の控訴は理由がないから、同被告等の控訴にかかる事件については民事訴訟法第三百八十四条、第九十五条、第八十九条を適用し、又原判決中原告のその余の請求を棄却した部分は失当であるから、原告の控訴に基いて前示認容の限度においてこれを変更すべきものとし、右控訴事件については同法第九十六条、第八十九条、第九十二条、第百九十六条第一項を適用して主文のとおり判決する。(昭和二四年二月二三日東京高等裁判所第一民事部判決)

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